『寛永の雅 江戸の宮廷文化と遠州・仁清・探幽』サントリー美術館
東京六本木(東京ミッドタウン内)にある、サントリー美術館で行われている『寛永の雅 江戸の宮廷文化と遠州・仁清・探幽』に行ってきました。
基本情報
●2018年2月14日(水)~4月8日(日)
●サントリー美術館
混雑度
平日金曜日の5時ごろ到着しました。
金曜日は開館時間が8時までなので、ゆっくり見ることができます。
会場の中は混雑していません。
男女とも一人で鑑賞している人が多かったです。
若い人(20~40代)くらいの人が多かったですし、みなさんかなり熱心に作品を鑑賞していました。この展覧会を楽しみにしていたと思われる人ばかりでした。
会場内は静かですが、真剣に鑑賞する静かなる熱気を感じました(笑)。
お勧め度
茶の湯に興味がある人に特におすすめ。
特に、きれいな美しい茶道具が好きな人はぜったいに楽しめます。
茶の湯のお稽古仲間と一緒に鑑賞するのも楽しいと思います。
日本の江戸幕府の寛永時代についての、幕府と宮廷の繋がりなどの歴史を知ることもできますので、歴史好きな人にもおすすめです。
所要時間
ミュージアムショップもみて、合計で1時間半オーバーぐらい。
混雑していなかったので、ウロウロ好きな作品を何度も見てしまいました。
この後に予定があったのですが、見入ってしまいまい、予定時間を大きく超えてしまいました。
見どころが多すぎました。
展覧会のみどころ
①後寛永文化とは 後水尾院サロン
「寛永文化」のは、桃山文化の美から繋がり、その後の活気みなぎる元禄の美の間のさりげない美を表現したといわれています。
寛永文化の中心人物は、後水尾院(1596~1680)であり京都が中心の地です。
②小堀遠州・野々村仁清・金森宗和・狩野探幽について知る
小堀遠州(1579~1647)
寛永文化を代表する茶人であるとともに、伏見奉行を長く務め、多くの建築造作も指揮した江戸幕府の有能な官僚でもありました。
彼の茶は「きれい寂び」といわれます。
野々村仁清(生没年不詳)
色絵の技法を大成し、京焼随一の名工として名高い。
正保4年ごろ御室仁和寺(おむろにんなじ)の門前に窯を開き、御室窯の活動を開始。
金森宗和(1584~1656)
宗和は飛騨高山城主の金森家に生まれ、後に茶人として京都で活動しました。
彼の茶の湯は「公家好み」といわれ「姫宗和」という言葉を生み出しました。
狩野探幽(1602~74)
狩野派の絵師である狩野孝信(かのうたかのぶ)の長男として京都に生まれる。
その画力を徳川家康・秀忠に認められ本拠地を江戸に移し、幕府の御用絵師として活躍した。
【参考:展覧会『寛永の雅 江戸の宮廷文化と遠州・仁清・探幽』ホームページより】
気になったかわいい作品
●瀬戸肩衝茶入 銘「春山蛙声」(しゅんざいあぜい)
尾形乾山 江戸時代中期 湯木美術館
形は肩が大きく張った独楽のよう。
黄色味がかかった地釉に緑味が混ざった色あい。
小さめなサイズで使いやすそうです。
銘の春山は色、蛙声は形からつけられたそうです。
使って見たいな~と思う茶入れでした。
●白釉円孔透鉢
野々村仁清 江戸時代17世紀 MIHO MUSEAM
今回の目玉になっている作品。
現代陶器の作品のようなモダンなデザインです。
とにかく美しいのですが、何を入れたらいいのか(笑)と考えてしまいました。
●冠形大耳付水指
修学院焼 江戸時代17世紀 滴翠美術館
一見、どこがフタなんだかわからない!?
面白くて記憶に残りました。
●白釉耳付水指
野々村仁清 江戸時代17世紀 出光美術館
こちらもおもしろい形。
下の土台のような部分に取っ手?がついているので、まるでさかさまに見えます。
独創的なデザインです。
●黒釉金彩肩衝細茶入
野々村仁清 江戸時代17世紀 滴翠美術館
なんじゃこれ!!という感じです。
ものすごい細長く、背の高い茶入れなんです。
茶杓が入るのか?届くのか?不思議で、おもしろいのです。
お楽しみ①遠州さん
気になる遠州さんについて知ることができました。
漫画『へうげもの』では、ちょっと女性ぽくて?かわいい遠州さん。
今回の展覧会では、遠州さんの愛した茶道具がいろいろ展示されています。
遠州さんお好みの、小さめサイズの清々しい美しさのお道具が揃っていて、遠州さんをさらに知ることができて楽しかったです。
本『図解茶の湯人物案内』八尾嘉男著に掲載されている「小堀遠州代表的遺愛道具」8点中、なんと今回4点も見ることができました。
■丹波耳付茶入 銘「生野」⇒◎今回の展覧会で見られます
■瀬戸肩衝茶入 銘「春山蛙声」⇒◎今回の展覧会で見られます
■高取鮟鱇茶入 銘「腰蓑」
■瀬戸飛鳥川手茶入 銘「飛鳥川」⇒◎今回の展覧会で見られます
《古今和歌集』の和歌から遠州が命銘しました。
■青磁中蕪花瓶 銘「夕端山」
■小井戸茶碗 銘「忘水」
■油滴天目 芙蓉台添⇒◎今回の展覧会で見られます
寛永13年(1636)戸奥川家光に献茶をしたときに使用したもの
■高麗茶碗 銘「利休ととや」
もともと千利休が所持していて、古田織部に伝わり、その後遠州が所持したもの。漫画「へうげもの」でも登場しました。
お楽しみ②子ども用シート
子どもが楽しく美術館を楽しく鑑賞できるようにつくられたシートがあります。
しかも子どもの年齢によって難しさが4パターンも用意されていますよ。
①難しさレベル2
お題は「ツルのかたちの作品をみつけよう!」
ツルの作品を見つけたら、シートをめくります。
すると、ツルの作品についての説明をみることができるようになっています。
②簡単なレベルのシート
「この茶碗をみつけよう!」
この茶碗は赤楽茶碗 銘「熟柿」でした。
まとめ
期待していたよりも多くの数々の茶道具が見ることができました。
整った美しい正統派のような茶道具を見るにつれて、これこそ京都で栄えた文化なんだな~となんだか納得しました。
寛永文化が終わり、元禄文化にうつっていくと文化の中心は大阪へ移り、さらに政治が完全に江戸へ移ると文化も江戸が中心になり、さらにさらに明治になると天皇すら江戸(東京)へ移ってしまう。
政治と文化の関係も、がっちりみえてくる展覧会であったような気がします。
寛永文化が栄えたこの時に、だれがそんなことを想像していたのだろうかと、歴史のとめどめなく続く流れにはさからえない、恐ろしさも感じた展覧会でもありました。