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贈り物・手土産におすすめ!可愛いスイーツ・お菓子を探して紹介します

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平戸を巡る茶道と和菓子の歴史。百菓之図は菓子図鑑!

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平戸と和菓子

雑誌『婦人画報』2017年3月号「和菓子は、いつも新しい!」で、平戸と和菓子についての記事が8ページにもわたって紹介されています。

私の中でひそかな平戸ブームが始まり、平戸を旅してみたくなりました。

 

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婦人画報 2017年 03月号

婦人画報 2017年 03月号

 

平戸といえば

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平戸は古来より中国・朝鮮と交流を持ち、1550年フランシスコ・ザビエルが訪れ、ポルトガルとの貿易をはじめています。

ポルトガルはキリスト教の布教をおこなった以外にも、カスティラ(カステラ)やコンペイトウ(金平糖)といった南蛮菓子、香辛料も伝えて食文化に大きな影響を与えました。

1609年には、日本とオランダの交易がスタートした地であり、東インド会社によって平戸オランダ商館が開館した場所です。オランダ貿易では、白砂糖も多く持ち込まれました。

砂糖やそれを使った西洋菓子が、日本のどこよりも早くここ平戸に到着したことで、和菓子も、この地で西洋文化と入り交じりながら発展していったことがうかがえます。

 

平戸発祥 茶道「鎮信流」と『百菓之図』

江戸時代に平戸藩4代藩主・松浦鎮信(しげのぶ)は武家茶道「鎮信流」を興します。

天保12年(1841年)10代藩主の松浦熈(ひろむ)は100種類の菓子の製法と絵図を記した『百菓之図』の作成を命じています。完成までに6年の歳月がかかりました。

 

『百菓之図』はお菓子図鑑で、100の菓子を絵描き、レシピをつけたものです。和菓子だけでなく、東南アジアやヨーロッパの影響を受けた菓子も描かれていて、ユニークな菓子図鑑です。

【参考:Sweet Hiradoホームページ】

 

平戸へ茶道をめぐる旅行へ行きたい

松浦史料博物館

松浦家の邸宅として建てられ、代々伝わる史料を保存し、公開しています。お茶を楽しめる茶室もあります。

閑雲亭は、1893年に松浦家37代詮(心月)が建築したものを再建した茶室です。ここで、茶道鎮信流で点てられたお茶と復元菓子の烏羽玉(うばたま)もしくはカスドースが楽しめます。

【参考:松浦史料博物館公式ホームページより】

平戸オランダ商館

1639年日本初の石造建造物の平戸オランダ商館の倉庫を復元したもの。当時の日本とオランダの貿易に関する史料を展示しています。

平戸蔦屋

1502年創業。平戸藩松浦家の御用菓子司として『百菓之図』の制作にも携わり、江戸時代より伝わる南蛮菓子「カスドース」をつくり続けています。

 カスドース

ポルトガルとの交流によって伝わった南蛮菓子のひとつで、日本では蔦屋が元祖となります。よく溶いた卵黄にくぐらせた専用のカステラを、熱した糖蜜に浮かべ、最後に砂糖をまぶして仕上げた当店を代表する平戸銘菓

 牛蒡餅

カスドースとともに「百菓之図」にも紹介された、蔦屋伝統の銘菓です。中国からの伝来と伝えられ、平戸では古くから、慶弔時や茶席での切り分け菓子として用いられてきました。上白糖を使った白い餅と、黒糖を使った餅の2種類をご用意。牛蒡餅の名は、その姿がゴボウに似ていることに由来します。

  烏羽玉(うばたま)

江戸時代の貴重な史料である「百菓之図」でしか見られなかった幻の菓子を、松浦史料博物館のご協力のもと、蔦屋が現代に復活させた復元菓子です。黒ごま入りのこしあんを、餅米粉を使用した柔らかな求肥餅で包み、仕上げに和三盆をまぶしております。

【上の3つの商品紹介は平戸蔦屋のホームページより引用】

 

まとめ

味だけでなく見た目でも楽しめる和菓子は、さらに歴史を知るとさらに興味深く奥深いです。

まだまだ食べたことのない和菓子が日本のあちこちにあると思うとわくわくしてきます。

別冊Discover Japan ニッポンの和菓子 (エイムック 2774 別冊Discover Japan)