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茶箱 茶道★和菓子★展覧会 

茶箱の中は好きなモノでいっぱい!

ハクション大魔王がでてきそうな最中 「ずいずいずっころばし」の歌の謎にも迫る 東京 本郷「壺屋総本店」

形がかわいい和菓子を見つけるとうれしくなります。

それにしても、最中って重い・・・・・・。

散歩の途中に買うとずっしりするので、気をつけなくてはいけません。

和菓子:最中「壺」

ずっしり重いです。あんこがたっぷりはいっているに違いないと期待が高まります。

白いツボと、茶色のツボがあります。

壺の形がかわいすぎます。ハクション大魔王が住んでいそうです。

白はこしあんで、茶色がつぶあんです。

期待通りのあんこが、きっつきつに詰まっています。うれし~い。

最中の皮はパリッとしていて、ぎゅ~ぎゅ~のあんこ。

けっこうなボリュームなのに、ペロリと食べてしまいました。

最中としては最高なのですが、残念ながら、ハクション大魔王の住む余裕はありませんでした(笑)

味は甘めです。甘党にはたまらない和菓子です。

あんこ好きにもおススメです。

価格:200円と190円(税込)(2017年5月現在)

白い壺と茶色の壺で値段が違うのですが、どっちがどっちか忘れてしまいました。

銘(名前)をつけてみる

失礼ながらも、この和菓子に「私なら。」ということで銘をつけてみました。
「茶壺道中(ちゃつぼどうちゅう)」です。
壺といえば、「ずいずいずっころばし」の歌を思い出しました。小さいころ、なんだかよくわからない怪しげな歌詞を歌いながら遊んだ記憶があります。

 江戸時代、幕府が将軍御用の宇治茶を茶壺に入れて江戸まで運ぶ行事を茶壺道中、あるいは宇治茶壺道中といいました。
幕府が宇治茶の上納を命じる宇治採茶師をはじめて派遣したのは慶長18年(1613)とされ、茶壺道中が制度化されるのは寛永10年(1633)のことです。
毎年4月下旬か5月上旬になると、宇治から茶葉の生育状況の報告を受け、茶壺付添人ら(8人から14人)が茶壺ともに江戸を出発します。茶詰めは採茶師が宇治に到着してから9日目より茶道頭立ち会いのもとで始まり、茶詰めを終えると茶壺は封印され、羽二重で包み、さらにその上を綿入れの帛紗で包み、長棒駕籠の中に箱ができていて、それをその中に納めるというもので、その取り扱いには細心の注意が払われました。
茶壺道中は五摂家や宮門跡に準じる権威の高いもので、茶壺が通行する際には、大名らも駕籠を降りなければならず、街道沿いの村々には街道の掃除が命じられ、街道沿いの田畑の耕作が禁じられたほどです。
「ズイズイ ズッコロバシ ごまみそズイ 茶壺におわれて ドッピンシャン ぬけたら ドンドコショ」――このわらべうたは、田植えで忙しい百姓たちが、この茶壺道中を風刺した歌ともいわれています。

「国土交通省 関東地方整備局 横浜国道事務所」ホームページより

胡麻味噌を摩っていると、お茶壺道中が来ると言うので、家の中に入り戸をピシャリと閉めて(=トッピンシャン)やり過ごす。お茶壺道中とは新茶を将軍に献上する行列のことで、切捨御免の時代柄、庶民は粗相の無いように細心の注意を払っており、子どもたちは両親に呼ばれても決して外に出てはならないと教えられた。そしてお茶壺道中が通り過ぎるとやっと一息つけたのである(=ぬけたらドンドコショ)。

[Wikipediaより]

あの変な歌「へ~こんな意味があったんだ。」と今さらながらに知りました。

そして、茶壺すごく大事に扱われていたことに驚きます。「お茶さまさま」だったんですね。

「茶壺道中」季節もピッタリです。

お店:本郷 壺屋総本店

東大から湯島へ向かう途中にあります。

趣のある、老舗のお店です。

当店は寛永年間に町民が開いた最初の「江戸根元」菓子店です。以後380年の間市民に愛されてきました。

 お店のパンフレットより