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茶道 裏千家十二代又玅斎(ゆうみょうさい)の百回忌法要ニュース

●裏千家十二代又玅斎(ゆうみょうさい)の百回忌法要ニュース

●又玅斎の御好みの棚

●又玅斎の御好み茶杓

● 又玅斎と茶室「清秀庵」

裏千家又玅斎の百回忌法要ニュース

12月8日京都新聞より

茶道裏千家十二代又玅斎(ゆうみょうさい)の百回忌法要が8日、京都市北区の大徳寺聚光院で営まれた。親族や茶道関係者、全国の社中代表ら約130人が参列し、明治の混乱期に流派を支えた遺徳をしのんだ。
又玅斎は1852年、京角倉家に生まれ、20歳の時に婿入りして裏千家を継承した。34歳で家督を長男に譲ったが、全国各地を巡り、1917年に亡くなるまで裏千家茶道の振興に努めた。
法要では読経を前に、千玄室前家元が利休に一碗を献じ、宗室家元が茶湯(ちゃとう)の儀で濃茶を練って又玅斎にささげた。法要後、宗室家元は「厳しい時代に各地に茶の湯の種をまく、重い役目を果たしてくださった。途切れさせることなく、ご縁をより強いものとしていきたい」とあいさつした。
山内には追善の茶席が2席設けられた。直筆の掛け軸や肖像画、ゆかりの茶道具が用いられ、参列者は故人に思いを寄せながら、一服を味わった。

又玅斎は、 早くに家督を長男(圓能斎)に譲った後は、北野松向軒、大徳寺高桐院、堺などに移り住みながら、大正6年12月8日65歳で没するまで、茶道の普及を図ったといいます。
家督を譲っても茶道人生は長く続いたのですね。

又玅斎の御好みの棚

「春慶竹台子」、「四方卓」、「三友棚」、「香狭間棚」があります。

茶器/茶道具・棚 杉 四方卓 又妙斎好写

茶器/茶道具・棚 三友棚 三千家好写

 

 上が「四方卓」下が「三友棚」です。シンプルな棚を好んだ方なのですね。普段のお稽古でも、よく見る形です。

又玅斎の茶杓

茶道のお稽古では、裏千家代々の宗匠の御好みを写した茶杓を、毎月変えて使うことが多いと思います。見た目はけっこう違います。櫂先のかたちが変った茶杓、実際に使うと扱いにくい茶杓もあります。歴代宗匠の茶杓の中で、又玅斎の茶杓は見た目も特に変わったこともなく、少し櫂先部分の曲がりがきついかな?という程度で、使いやすい茶杓です。良い意味では扱いやすく良いのですが、特に特徴がないという面もあるような気がします。

茶道具・茶杓/裏千家歴代宗匠茶杓集

 12世 又玅斎直叟(ゆうみょうさいじきそう)

又玅斎(ゆうみょうさい)と茶室

明治期に茶道裏千家十二代家元の又妙斎(ゆうみょうさい)の指導で造られた茶室として、奈良市水門町の庭園「依水園」(国名勝)にある「清秀庵」があります。「清秀庵」は4畳半の本席と6畳の茶室からなり、本席は京都・裏千家の茶室「又隠(ゆういん)」(江戸時代、重要文化財)を模しています。数寄屋建築の美を伝えるたてもので、茶室を広く見せるための楊枝柱(ようじばしら)が特徴です。

茶室「又隠(ゆういん)」とは

千宗旦が、隠居屋敷を四男仙叟宗室に譲って二度目の隠居所として建てた四畳半の茶室です。千利休は聚楽屋敷の四畳半茶室で侘び茶を完成させたが、「又隠」はその茶室を再現したもの、といわれています。

楊枝柱(ようじばしら)とは

一部だけ見える柱のことで、茶室に使われる装飾的な柱です。曲がった丸太を柱に使って、柱全体を見せずに、天井近くの一部分だけを見せた柱です。かつては、曲がりをもった柱を隅柱に用い、隅柱が土壁で塗られることで、上部4分の1が楊枝のように現れたものでしたが、現在は、柱といっても構造材ではなく、見える部分だけ材をつかうことが多くなっています。

写真で言う左奥の天井から”つらら”(これが楊枝か!)のようにみえる柱?です。

写真引用・参考タクミホームズ建築用語集