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銀茶会『PEARLパール』 遠州流

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去る10月30日予定通りに銀茶会に行ってきました。
気になっていた東京風月堂さんの「PEARL」を食べてきました。お茶席は裏千家の立礼席です。
大学生の女の子が御亭主で抹茶がふるまわれました。お菓子の「PEARL」の中はキャラメルとりんごのケーキで、表面の白い部分が「光」を表現した白餡とバターのクリームだそうです。本当に光が輝いて見え、きれいだったので驚きました。見た目も味も楽しめました。

** このお茶席について考える

なぜ「PEARL」だったのかは、はっきりわかりませんでした。残念。
青海波の模様がついた水指を使用していて、お棗、茶杓、お茶碗は紅葉をモチーフにしたものを使用していました。
私は、海辺の紅葉を思い浮かべました。お菓子が華やかだったので、美しい紅葉の里山から海をみると、輝く光が「PEARL」のように見えた雰囲気をイメージしていました。


とても寒い日だったので、きっとお点前をするのもたいへんだったと思います。
どのお茶席もお客様がたくさんいてにぎわっていました。多くの方が楽しめたのではないかと思います。

遠州流のお茶席

「兜」が飾ってあり、おもしろいお茶席でした。お茶席には入れず、外からちらりと見るだけだったので詳しいことはわかりませんでしたが、御亭主がお点前をする畳は4本の赤の柱で囲まれていて風流でした。
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お茶会では、もちろん女性の着物姿は美しいですが、男性の袴姿もかっこいいですね。

遠州流について学ぶ

遠州茶道宗家の祖は 小堀遠州(こぼりえんしゅう)
1579年(天正7年)近江小室藩主であった大名。徳川家光の茶道指南役も務めたといいます。15歳で春屋禅師のもとで修業し、古田織部に茶の湯を学びます。書画、和歌、茶道具、建築、作庭にも洗練された才能を発揮し、後水尾天皇をはじめ寛永文化サロンの中心人物となり、戦国時代の利休や織部の後、平穏な江戸幕府、寛永時代に王朝文化の雅をわび茶と調和させて、多くの人が理解し楽しめるよう工夫しました。

寛永年間(1624~1644)戦国の余風はいくぶん残っていたが、人々は穏やかな、誰にでも開かれた楽しみを求めていた時代でした。
その中で絵画の俵屋宗達、陶芸の野々村仁清、工芸では本阿弥光悦が活躍し、互いに交流していました。華やかな時代ですね~。

遠州の作品、銘付け

後水尾天皇行幸を迎えるため、家康創建時の二条城の建築、造園を大きく改築した際に新造の行幸御殿と池庭改修
後水尾院の仙洞御所と庭園
茶席 国宝「密庵」(みつたん)龍光院
茶杓「柏樹子」(はくじゅし) 遠州作 現在湯木美術館収蔵
竹花生 銘「再来」遠州作 根津美術館所蔵
瀬戸肩衝茶入 銘「撰屑」(えりくず) 内箱、挽家とも遠州筆書付
瀬戸肩衝茶入 銘「筧」(かけい) 内箱蓋表・蓋裏貼紙、挽家金粉字形とも遠州筆書付

「厳しい求道的な茶の湯は、ともすれば閉鎖的。遠州という人は、そこに客観性を取り入れ、開放的な茶の湯を形成した茶人でした。遠州のお茶は”綺麗さび”と評されますが、それは茶道具から点前まで、非常に洗練されていたということ。遠州のセンスを周りが認めたわけですが、ひとりよがりの感覚や感性で成立するものではなく、考え方や振る舞いなども含め、すべてが調和され融合されて初めてセンスがいいということになる。遠州にはそれは客観性があったから、茶の湯を総合芸術として形づくることができたんだと思います」(遠州茶道宗家13世家元・小堀宗実氏)
引用元 和楽ムック「茶の湯入門」より

ひとりよがりではなく、多くの人から認められ、愛される、その時代にあった美しさを見出すことは簡単なことではないと思うのです。絵画の世界でも、生きている間はまったく理解されず一枚も絵が売れなかった画家もいるのは有名です。(ゴッホなんてその代表のような芸術家です。)ただ単純に、小堀遠州は自分らしい美的感覚が時代に愛されたラッキーな人なんだなと感じていました。
しかし、遠州は「利休はいつの時代にあらわれても名人であり、いかにも当代風に合うように茶の湯をするにちがいない」と語ったという逸話を知ってから、遠州は感覚だけでなく、やはりいろいろな事を学び、多くの人と接して、時代が求めているものを工夫し生み出したのだなと感じます。

参考文献 別冊太陽 『小堀遠州 「綺麗さび」のこころ』