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茶箱 茶道★和菓子★展覧会 

茶箱の中は好きなモノでいっぱい!

茶道 秋の禅語

茶の湯は総合芸術といわれるように、さまざまなことに興味をもち、学んでいくことが必要となっていきます。決して学校のように「必ず学びましょう」というわけではなく、茶の湯を知れば知るほど、茶の湯に触れることが多くなればなるほど、おのずから多くのことを知りたくなります。

趣味の世界はなんでも同じで、一つのことからさまざまなことに興味が広がるのが楽しいですよね。

 

お茶碗に興味をもてば、焼き物について知りたくなりますし、お菓子や茶杓(茶をすくうスプーンみたいなもの)、茶碗、茶入れ(抹茶をいれておくもの)についている(名前)について気になれば季語(俳句)、禅語、茶の湯に関する逸話が知りたくなります。小袱紗(お茶碗の下にひいたりする)、お茶入れの袋が気になれば、その裂地の名前が知りたくなります。裂地もかわいいものもあって、素敵です。

 

私が最近興味を持っているのは、「禅」です。若いころや仕事が忙しかった頃は、まったく興味がなかったのですが、大人に?なったらぐぐぐっと興味がわいてきました。

禅に対しては、どちらかというと「ミニマムライフ」「シンプルライフ」のほうから興味がわいたのですが、知れば知るほど、今更ながら茶の湯に通づるものがすごく多いことに気づきます。

茶室はもちろん、茶を点てるためのお点前だって、無駄のない美を追求したミニマムライズされたものだと思います。

 

茶の湯でもっとも触れることが多いのは「掛け軸」にある「禅語」です。今まで興味がなかったため、読み方を教えてもらっても、「ふぅ~ん」、良くてこの禅語がは秋に飾るんだぐらいのレベルで終わってしまっていたのですが、大人になった今、食いつくように興味をしめしています。

 

最近のお稽古でみた禅語

「掬水月在手(みずをきくすればつきてにあり)」

月の美しさはだれもが見ることができます。しかし「手で掬う」という自分が行動をおこすことで、月の美しさを自分のものとして感じることができるということです。
唐の時代の詩人、于良史(うりょうし)の「春山夜月」という詩に基づいた禅語です。

 

お稽古では掛軸に書かれていました。

読むことさえもできませんでしたが、文字をみていると風流な禅語だなと感じました。「月」が入っているので「秋」を感じたのです。説明を聞くと、奥深い言葉なんだなと感動しました。何かを自分なりに感じることは、人生の中で自分を作っていく骨であり、肉であり、血であると思います。

 

「一粒万々倍(いちりゅうまんまんばい)」

一粒の米も無駄にしてはいけない。一粒から百千粒が生じるのだから。どんなに僅かであっても、道を求める心が少しでもあるのなら、それを一心に磨けばたくさんの素晴らしい実が結ばれるということです。

 

一つの事を学ぶことから、多くのこと(知識も、喜びも、美しさも)が生みだされていくことだと思います。いい言葉ですね。

 

徳風棗(茶入れの薄茶をいれるもの)に書かれています。

棗のふたの裏側には、稲穂が描かれています。稲穂も、一粒の種から多くの種をつける象徴のような植物です。

見た目もかわいい棗なので、茶のお稽古を始めた若いころからのお気に入りです。秋になると出現するのでこの時期の楽しみでもあります。この禅語も、お稽古で一番最初に覚えた記念の語かもしれません。文字を見ているだけで、幸せな気持ちも大きく膨らんでいきそうな気がします。

 

参考文献:『茶席で役立つ禅語ハンドブック』朝山一玄著